時は流れて

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なんだか悲しげな記事で

時が止まったままのくにメモ

Twitterやfacebook

最近はInstagramと

まぁマメではないにせよ

綴ってきていたのに。

すみません。


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こけては起き上がり、

こけては学び、

息子は今日もすぐこけたりするから、

「あぶなーい。あかーん。こけるー。」

「だから、こけるて言うたやん。」

と、私はよく言うのですが、

こけるかもしれないことを気にせず

意味のないことを楽しみながら

闇雲に心も身体も走らせれるのは

やはり子供だなぁと思います。


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結婚し、

家族ができて、

絵を描くことが後回しになり

隙間隙間の集中作業になりつつあり、

なんでもかまわず発信したりするとこより

考えてはなんでも心にしまっておくことが得意になりました。

毎日同じように

心は走らせているつもりだけれど、

こけたら痛いことは避けて、

なるべくこけない道を歩いて、

基本安全運転する大人になっていることを、

よくこける息子を見ながら思うのです。

心にしまっておいたつもりのことも

時が流れて忘れてしまったり

しまっておけばいいことばかりではないことを

自分でも分かってはいるのですが。


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転がり続ける石ころは

ローリングストーンで、

景色は流れていく今ばかり。

いい場所にとどまる石ころには

いい感じの苔も生すかもしれない。

ひたすら転がれば

海や川で洗われた石ころのように

まるくまるくなるかもしれない。

削られ削られなくなるのかもしれない。

とんがったまま止まっていたら

すごい個性的な石ころとして

誰かの宝物になるかもしれない。

でも、誰にも見つけられないかもしれない。

誰かの目になったりもするかもしれない。

石ころはただの石ころなんだけど。

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人は石ころじゃないけれど、

人は物言わぬ石ころにも心を見る。

石ころから学んだりする。

石ころに祈ったりもする。

なんにもないように見える

危ないように思える

闇雲の世界の向こうに

やっぱり面白いことがみつかる。


もっと面白く暮らしたい。

もっと面白い大人になりたい。

ここに居ながら

もっと向こうにも行ける大人になりたい。

息子を見ながら

息子にブレーキをかけてばっかりのくせに

いつも思っているのです。



言葉じゃなく

私がこの気持ちを表現するのは

やっぱり絵なんだろうなと思うけど、

絵は描けなくても私は死なないんだ、

ごはんは食べないと死ぬんだけどと、

気がつくと繰り返しの暮らしとばかり走ってしまっています。


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はじめて鴨川と違う

普通の川というのを見た時びっくりしました。

川ってもっと川でした。

普通と思ってる普通が

繰り返しと思ってる繰り返しが

実は当たり前ではないもんです。

井の中の蛙は大海を知らなくても

蛙の幸せは蛙にしか分からないのです。


そ、そうなんです。

そう、だからもっともっと。

と、やっぱり言葉では

ちっともうまく伝えれないのですが。ふふふ。


あ、そうそう、

四季の鴨川に想いを馳せた

新しい風呂敷が昨日発売でした。

「かもがわ」という風呂敷は4種類。

「ぽかぽか」「ちかちか」

「はらはら」「ちらちら」


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鴨川みたいに

ぼちぼちに人に助けてもらって

ぼちぼちに人の存在を感じながら

ぼちぼち真ん中を流れていけるといいんですけどね。

なんと難しいことか。


当たり前のなんと難しいこと、

それはいつも愛おしいこと。


あっという間に息子が帰ってきそうです。

また書きます。これから。ぼちぼち。